Asian River Restoration Network (ARRN)

アジア諸国における河川再生に関する情報交換を目的とした組織として、2006年11月ARRNが設立されました。日本におけるARRNの活動は、日本河川・流域再生ネットワーク(JRRN)が担います。

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大河津分水(新潟県・燕市)

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可動堰 旧洗堰と奥に新洗堰を望む

 信濃川はかつて度重なる水害で越後平野に壊滅的な被害を及ぼしてきました。この被害をなくすため、増水した水の一部を越後平野に入る前に日本海へ流す目的で大河津分水が作られました。この大河津分水により越後平野は水害から守られ、日本有数の米の生産地として成長を遂げました。



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 大河津分水施工の要望は古く、18世紀の初頭より本間屋数右衛門、河合某らが大河津分水建設を幕府に願い出ていました。その後、1870年には一旦起工された事業は、技術的な問題、水量の減少により新潟港の維持が出来なくなる事を危惧した新潟町民等による反対運動、これらの不満を糾合した一揆(悌輔騒動)が発生し頓挫しました。
 1896年7月22日、西蒲原郡横田村(後の分水町、現燕市横田)地内に於いて「横田切れ」と呼ばれる信濃川の破堤により、被害面積18,000ha、家屋流出25,000戸というる空前の大水害をきっかけに1909年より工事が再開されることとなりました。
 分水路開削工事は、当時東洋一の大工事と言われ、外国製及び国内製の最新掘削機を投入され、採掘した土砂は2,880万立方メートル、工事に携わった人はのべ1,000万人にも及びました。地滑り等の困難を乗り越え、起工より13年後の1922年8月25日に分水路は完成しました。
 その後、信濃川下流域は水量の減少により、流域の改修工事が進められ、新たな土地が造成され現在の米所へと成長を遂げました。
 これら、分水路開削の歴史は、信濃川大河津資料館で映像、模型等を通じて詳しく学ぶことが出来ます。
 分水完成から約60年後の1982年9月13日に大河津で観測史上最高水位(16.23m)が記録された際に、洗堰で漏水が確認されました。これを受けて1996年より本流側の堰である洗堰の更新工事に着手し、2000年5月29日に完成され、旧洗堰は78年間の歴史に幕を閉じました。使用されなくなった旧洗堰は産業遺産として国の登録有形文化財に登録され、今も大河津分水公園横にその姿を残しています。
 また、分水路の堤防にはソメイヨシノが約3,000本植樹され、現在では花見の名所として親しまれています。

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